昭和43年10月23日 月次祭 ★
10月の23日のお月次祭は、(録音不良?)
そのお月次祭に皆さんお繰り合わせを頂いて、お参りできられたということが、( ? )。初めて、いわば後にも先にもという( ? )と言う、(?)。信心とは自分自身を( ? )もろうて、それから信心共励さして頂くこと、ね。今日という日はまたとない。そこで、今日という一日を神様の心にかなう一日でありますように、( ? )一日であるように、それが充実した信心生活を( ? )。
皆さん、( ? )。教祖様はどこで何をしても( ? )こなければ一期一会に会うことができんのだ。ね。只先生が今から詠おうとこう、ね。只、表( ? )ない。教祖様は。本当に私共一人一人がおかげを頂いていくことのために、神様の心を噛んで砕いて、そしてそれをお互いに分かってくれよと言わんばかりに、それがこれからの。お参りをしたということも有り難い。
そのお話にあえるということが有り難い。そして、( ? )ですね。後ろの方はいいですか。いいですか。ね。一期一会なんです。ですから初めの方( ? )言うたんでは馬鹿らしい。私としても先先のことをお伝えして、聞かして頂く中で、ね、そういうつもりで( ? )。いわゆる一期一会、ね。( ? )。
一期一会に会うのでございますから、私、心してから頂に来るんですけど。それが自分の思うたこと、自分の心は心配で、ね。というようなことではせっかくそのお話が人間の( ? )な心にも伝わって来ない。
そこをひとつ、そういうつもりでの( ? )ならない。今夜の月次祭が7時に、(?)ですね。それ前に御霊様へのご挨拶がある。このしみじみと( ? )をする、何というか、お月次祭の日にお参りさしてくれない。ね。ご挨拶がすみますと、誰かがここで( ? )ではありますけれども、一生懸命の日頃の信心を、または( ? )いたします。それがまた本当におかげ頂いた。
もうとにかくおかげ頂いた、私自身(?)。その一言一言に一生懸命のお話をなさった。何かを頂かなん。この前は椛目の宮崎さん。今日は北野の大和さんがおかげを頂かれました。こういう話をいたしておりました。先月12日の福岡の共励会に楽人長豊美さんと1人、参る途中のことでございました。委員長が、大和さん今度のご大祭では、信心が飛躍しておる。信心が( ? )頂いた、( ? )が、どういう信心がいいですかと。言われた。その時に本当にひやっとするようなものを感じましたと。一生、この大祭に向けてどれだけの修行ができたかと。どれだけの信心ができたかと。(?)できておらなん。
けれども言われてから、まあつらつら一年間のことを考えた。そして、どことどうと、とり得のないお育てを頂いたと思われるところはないけれども、結局、私は思いますのに、信心が進むとか分かるとかということは、ね、自分の身についていなかったらどのように素晴らしいことを聞いても、それは信心が進んだものにはならない。信心が詳しゅうなっただけではだめだ。自分の身についておれば、自分の身についたか、この一年間で信心が身についたのか、血に肉になったのか、ね。それを思うてみる時にです、本当に相すまんことだけれども、信心をいたしておりますけれども、ね、私は一年前からタバコを止めさして頂いておる。( ? )修行なされた。
ある時、信徒会長秋永先生がお話した中に、タバコを止めたお話をさして頂いた。その中にこの世にタバコがあったじゃろうかと思うように、この頃はタバコが前々、なくなってしもうたという話をした。その時に、大和さんはもう一番タバコ(?)で、もう欲しゅうてたまらん時であった。何という素晴らしいことだろうか、いつまでかつまでなんて思うとるからこげなこと。
よし、一生頂かんぞと思うて、ね、そして、秋永先生ではないけれども、この世にタバコがあったであろうかと思われるくらいに、もう自分とは関係のないもの。無関係のものにしていこうと努力さして頂いたら、まあ一年間振り返ってみて、これだけは自分のものになったようです、これだけは恐らく一生、タバコを吸わんですむでしょうという話。素晴らしいです、ね。
いわゆる大和さんの身についてきたもの。( ? )ならん。これでは信心は分かるはずはありません、ね。そこに精進される時、ね、もうそれは( ? )欲しい、そのタバコに手を出そうとする時、金光様と祈られんわけにはいかん。切実に金光様を唱えなければおられんのだ、ね。そこにです、それこそ目には見えないけれども、いつの間にかそういう信心が血に肉になっていっておることを私は感じます、大和さんの信心から、ね。それが素晴らしい、ね。
皆さん、どうでしょうか、このご大祭を境にどれだけの信心ができたか。いや、5年祭とは言わんでも、一年間の間にどれだけの信心が、ね、身についてきたか、身についた信心でなからなければ、信心が育ったとか分かったとか言えないのだ。信心のお育てを頂いたとは言えないのです、ね。それが自分のものにならなければ信心が分かったとは言えない、信心が進んだとは言えない、大和さんはそう、言わば断言しておられます。私もそれをそう信じます。
信心がだんだん、ね、佳境に入ってきて、いわゆる信心が有り難いものになってくる。有難いものになっていけばなっていくほどに、心を削り身を削りしていくことの楽しみが湧いてきます、ね。信心はここのところを私は、置いたらもう生きた信心は生まれてこないと。( ? )は、どういうくだらん修行をしてというような、修行を軽く見る人がありますけども、確かに自分の身を削ってからでもというような修行がなされなければいつまで経っても大きくなれるはずはありません、ね。
心が削られるはずはもちろんありません。「この方の行は水や火の行ではない、家業の行ぞ」と「表行よりは心行をせよ」と仰るから、ね、形の行にとらわれずに、心の行に取り組んでいけと言うけれども、心の行をさして頂こうと思うなら、まず表行ができないくらいなことで、ね、心行のできるはずがありません。いわゆる身を削り心を削りしていくところの(?)。しかもそれが誰のために身を削るのか、心を削るのか。ここに極まってくる時に、信心がいよいよ、佳境に入ってくるというので( ? )。皆さんどう思われますか。
昨日の朝の御理解の後に、私はいつものようにまあ30分くらい書かして頂いた。書きながら何とうなしに、もう一言何か欲しいなあ。何かしめくくりひとつも何かだいたいはほしいなあと思うておったけれども、頂けんなり分からんなりに終わった。そういたしましたら、善導寺の久保山さんがお届けに出てみえてから、先生、今朝方からもう( ? )が合楽に向かって来て来られるんですね、( ? )。もう3時半にはだいたいここへ来ておられます。
★それで4時の御祈念を頂かれる。御祈念さして頂いてから、聞かして頂いたことの御礼を申さして頂きよりましたら、今日はだからその、( ? )と流れて( ? )ちゅう。そういう(はりま?)を頂いた。( ? )の( ? )流れておるのかと、そこにはとが( ? )。そのひょうたんに「ようろう」という字が書いてあった。(?)で。それが今朝の御理解の締めくくりはここにあったかと、これだったと思ったんです、ね。
私はそのようろうの話をそれから(?)いって思い出した、ね。昔、たいへん、孝心の強い親孝行な息子さんが毎日、山に焚き物を採りに行っては、帰りに町に寄って、それを売って、それを(?)に替えて、お父さんへ。もう必ず( ? )には、お父さんが( ? )ある。( ? )なっておる。父親の喜ぶ顔を見て( ? )、その親孝行。そんな素晴らしいことないですね。( ? )が。またこれを配達する時に親が喜んでくれるその笑顔を見る時に。この親に喜んでもらえりゃ何もない、ね。
そういう、まあ日々を過ごさして頂いて、ところがそのある日謝って、崖から谷間に落ちた。ところがその落ちた谷間にですね、不思議に竹のにおいがする。なるほどだと思うて、( ? )出てみると、何と( ? )おったことが竹であったというのである。
こと天の与えるものに違いはないと思うて、( ? )。父親が最近の(?)が特別にそのおいしい竹なのですから、これをおいしいと。( ? )と喜ぶから、本当にお父さん孝行だと、お父さん、( ? )の人達が村から( ? )きたわけです。( ? )。いうその親孝行の子供がおるなら是非会いたいというので、( ? )のために会いよっておる。お褒めの言葉と( ? )を頂くと同時に、その時から年号をようろうと変えられた、( ? )。親孝行なくなっちゃ、本気なくなって、あの人じゃ(?)ないわけです(笑)。どうでしょう、皆さん( ? )。
もうこの親のために、ね、この親が喜んでくれるなら自分の身を削るぐらい、心を削るぐらい、もし、身を削って親が喜んでくれるなら、ね、そして、その身を削る私はどういうことになっておるかと言うと、それこそ鰹節をけずるようなもの。( ? )頂いておられますが、自分の身を削るというのは、キャベツの皮ををはぐようなもの。キャベツの皮をはいだからその葉を捨てるのじゃないのだと、それも使えるのだ。鰹節を削るように削っていった、削るという。もう削れば削るほど味が出て来るのであり、有り難いのであり、自分自身も有り難いのである、ね。
だから皆さんの信心がですよ、ね、この身を削り心を削りすることが、信心の、言うならば眼目に近づいていくことのための修行なんだ。これはどこでも信心の稽古をさしてもらうなら、そういう稽古を実際にしなければだめなのだ、ね。そして、削ることの喜び、削ることの楽しみが分からして頂いて、ね、親の喜ぶ顔を見て、自分も喜べれるというところの信心が(?)、この修行をしておるけれども、こればもらわんなんけん一生懸命削るというのであってはね、ちょっとそこに今日、私が御理解で言う、検討違いですね。焦点が違う。自分の我情我欲のために身を削るのでは。
自分の我情、自分の欲のために一生懸命にお参りをしようというのであったら、ね、それはせっかくの信心が信心にならない、ね。信ずる心も真心も、ね、神心も生まれてはこない。身を削り心を削りするところから初めて生まれてくるのだ。味わいが出て来る、信心の喜びが分かるのだ。
そこで、「信心は親に孝行するも同じことぞや」ということになる。昨日のその御理解をまあ、私は頂いておった。そして、ただ今私が申します、「おいわさん」が頂かれた「信心とは親に孝行するも同じことぞや」というところに焦点を合わせての信心。「信心は親に孝行するも同じこと」と、ね。それが本当に自分の心からそれと感じられるところのおかげ、ね。
今朝からも( ? )頂いたんですけれども、どんなに( ? )ような信心、どんなに言わば熱烈な信心をしておっても、焦点が間違うておったら、先々行くところが大変な違いになってくる、ね。焦点を間違えん、間違いなく天地に通う、天地につながる。そういう信心にお互いが進ませて頂き、そこんところを分からして頂いての信心にならなけれりゃ、ね。
ですから私共の願いというものがです、ね、願いというものの焦点がはっきりしてこなければいけない、だんだん。その願いとともに、ね、親神様に喜んで頂くことのための願いに繋がらないけん。とまあいつも言うわけです、ね。健康なら健康でも、私が不健康で親が喜ばん。私がぼやぼやしとったんじゃ親が喜ばん。どこの親でも心配する悲しい。だから私に仕事を与えて下さい、お金を与えて下さい、健康を与えて下さいということにならないけんけれども、自分の(えいゆいんが?)のために、ね、ただ、(?)を増やすことのために、我情我欲のことのためにその願いがなされ、そしてそれが必要になってまいりましても、おかげをそら受けますでしょうけれども、それは神様の喜びになるというおかげではない。いつもおかげ頂きなさらん。ひとつも、ね。今、( ? )も、おかげさえ頂きゃあもう一日でん、教会で御用します。いや、お金の上で、例えば私億万長者になっとる、ね、んなもう御造営にも私は一人でおかげ頂く。もうそれは誰しも言い思うことですけれども、それではだめなんだ、ね。
また、神様はそげなもんばあてにしようとも思うてござらん。そしてんなら、よし、それが与えられてもです、与えられてもどっこい、言うならばです、まあ私は(?)それを言うんですけれども、あの方が命を頂いて、もう医者に、家財産を幣等に置いて金を貸して、最後の医者に( ? )。そこへ、ここでおかげ( ? )ができずに、なんて神様の(?)に騙されん、もうこれだけ( ? )と言われることをもう一遍騙されてみなさいと言うて、病院に行く前に( ? )。( ? )思うほど病気になった。
朝から( ? )御理解が出ばなしじゃった、ねえあの頃、ね。午前中、あのご主人、お母さんが出るよった、もう皆帰らん。お話が続くので。お話を聞き、さあこれで一きりつきましたから皆さん、お帰りになる方は帰って下さい。それから皆でまた次の御理解を( ? )、帰られた。それから呼んでもなしに、まあお茶粥さんの方に、お茶粥さんを頂くとまたそれを頂いた。もうあの手前、お広前ではあったけれどももう朝から晩まで賑やか。ずっと御理解の出ばなしじゃった。
あの頃、それよりもただ置いておったんではもったいないと言うて、初め、私は久保山先生がある時から始められた。( ? )。ああいう話がどこから出るだろうかと言うて、こんこんと書いて(?)、出たんですね、あの頃。そういう時でした、今まで何も頂けなかった人がお茶粥さんが頂けた。それから3時4時になってきたら、ね、もう真っ白の人がね、これに(?)があってできた。来がけには、もうやっとかっと布団を敷いて、リアカーでやってきた人がです。帰りには、(?)の方でしたが、(?)ということになった。そして結局、あの山坂を(よしき?)まで歩いて行かにゃん。
あくる日からまた参って来て、( ? )にやるぞ、それから毎日毎日参って来て、20日あまりでおかげ頂いた。もうその人がお広前へ行ったらわんわん泣いてから神様にお礼を申した。よくなってきたことが有り難うしてこたえんわけ、ね。あの頃、私もお詫びも(?)と言うて、もうそれこそ(たたみ?)がむれるようにわんわん泣いて、(?)頂いたことを(?)。
ここにお広前ができるのは(?)、ね、ここの(?)私は( ? )、ね。あの時分の( ? )。
ところがいよいよ今度は( ? )の時には、さあ、一番(?)ことすらができなかったんでよす。そして急がせて頂いたところが、( ? )まで回って、お花を頂くぐらいに元気になられた、ね。これはまあひとつの例ですけれども、(?)なもんです、ね、頂いた健康を、ただお花売りだけに(?)したんじゃあいけんのです、ね。
そこに根限り、(?)、信心修行さして頂いておる間にそこんところが(?)分からして頂く信心、ね。おかげを受けたならばです、ね、おかげを受けたならば受けていない時よりももっと有り難いもったいないの信心ができなければうそだということ。そうでしょう。( ? )。
これをどういうことか、「信心は親に孝行するも同じこと」というようなことが分かっていないからなんだ。一生懸命修行したけれども只病気が治るだけ、この事業が発展することのためにその修行をしただけだからなのだ。それで(?)、親の喜びもなからなければ、言うならその子供も喜びがない。それでおかげが頂けるはずはない、ね。
なるほどおかげは与えられたけれどもね、信心の喜びは許されない。心の中に安心は許されない。( ? )。どんなに恵み与えられてもです、ね、喜ぼうと思うても喜べない、ね。考えてみりゃあ本当に幸せ(?)、そればってんならん。そればってんイライラする。それでもやはり汚い心が起こるという( ? )、それは。
与えられておるけれども、心に喜びを許されてないからなんだ、ね、恵み与えられるという事と同時に許されなければならん。( ? )おかげは受けきらんばってん、心の中は喜びでいっぱいとこういう人がある。けれどもその喜びとてもです、喜びだけは許されておるようであって、この許されておる喜びならばです、必ずそれにはおかげが伴うていかなければならない。
有り難い、心の中に安心の心を開いて、喜びの心を開いて、有り難いという心にはです、必ず、与えられるもの、恵まれるものがついておる。世の中にはそういう(?)あります。信心はなくても、こと恵まれておる時代には、健康で、例えば円満で、おかげに不自由するようなことはないという家が沢山ありますけれども、許されてない証拠に、なら喜びというものはない。
心から湧いてくる本当の幸福というものを味わうことはできない。あれだけ金があるのに、あれだけ皆から旦那様・奥様と言われるのに、まあちっとば喜んだってよかろうけれども、欲なことばっかり言うから、いっこく、心の中に喜びが湧かなんという人が世の中にどのくらいおるか分からんです。これは心に恵まれ与えられてはおるけれども、心に喜びを安心を許されていない、ね。
恵まれ与えられる、同時に許されなければいけない。それが私はお道の信心。そういう信心をお互い身に付けていく。それにはです、私共が本気でです、身を削り心を削りすることにです、私はいとまを惜しんではならない、時間を惜しんではならない。またその修行を厭うてはならない。しかもその身を削り心を削りという、その焦点が、ね、信心は親に孝行するも同じことぞやというような信心が焦点での削りであり磨くであってなからなければならない。
そこから恵まれ与えられ、同時に許されるおかげが約束されたと私は思う。私共は日々、そういう信心の稽古をさせて頂いておるわけでございます。そういう信心を分からして下さり、そういう信心の(?)ともなるとそういったまたは、何と言うても私としては善導寺であり、または初代の信心でございます。その初代の信心が北野の町に(?)。そして、善導寺の皆に35年間おご苦労下さった。その間、私の方、大坪一家はおかげを受けたわけでございますけれども、その初代が亡くなられて、その10月30日が35年の式年祭でございます。
( ? )も参りました。ところが40万という祭典費が、けども( ? )お供えする。それを私は建設する方に話しました。もう誰彼言うことはいらんですが、例えば知っとる者はそれで沢山おらんとじゃから、先生、私とあんたが本気になったらいいですよって、ほんなこと先生そうですなあと言うて、まあ言うて下さったんですけども、そういう意味合いで私は今度の記念祭を有り難い大事なお祭りとして頂きたいなとこう思う。
今日、信徒会宛に親先生からご案内がまいっておりました、(?)ね。そういうお祭りでございますから、30日の11時でしたか、合楽からも(?)お参りございます。そういう意味合いでおいてのお礼を先々の(?)に、おかげでそのような信心が合楽に育っておりますという報告をさして頂いて、親先生にお喜びを頂きたいというふうに思うておるのでございます。
それこそ「信心は親に孝行するも同じこと」、そういう意味においての今日のご参拝を( ? )。
明渡真